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3. 弓道

展示も終わり、1ヶ月が経とうとした7月初旬。仲夏が終わりを迎える時期に、あらためて後藤さんの住む街まで会いにいった。

日差しも強く、汗ばむ陽気だった。いつものように、最寄りの駅まで車で迎えにきてくれた。

 

この日は、後藤さん馴染みの茨城にある喫茶店に連れていってくれた。
ブレンド珈琲とレアチーズケーキを食べながら、今後の活動のことやFALLでの展示の感想などを話した。

展示のDM写真を撮影したという郷土博物館に連れていってくれるという。その道中で、弓道のことについて話を聞くことにした。

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弓道の話の前に、後藤さんが、そもそもガラスという道に進んだきっかけについて伝えたい。僕もこの日に初めて聞いたのだけど、とてもロマンチックなお話である。

それは、高校時代に遡る。進路面談の時期に、先生にどういう道に進みたいかを面談の日までに考えるよう言われた。人生を通して熱心に向き合えるものがあったらいいなと考えた時に、漠然とものづくりがいいなと思ったそうだ。

ただ、当時の自分には何がいいのかはすぐに掴めるはずもなく、面談が迫ったある日、自転車で走っていたときに、道端にガラスのキーホルダーが落ちているのを見かける。拾ってみたらとても綺麗で、直感でこういうものを作りたいと思ったことがきっかけなんだそうだ。

ガラスという道を進んでから20年以上が経ち、仕事や作家活動をしていく中で、どことなく手応えが掴めなかった時期があるという。その渦中に、世界中では感染症が蔓延し、自分自身の生活環境にも変化が出始めた頃、近所を自転車で走っていたら、現在通っている弓道場を見つけたそうだ。

​弓道を始めるきっかけが、偶然にもガラスの道に進んだ状況と似ていて不思議な気持ちになった。

-人間って、結局は孤独だと思うんです。僕がものづくりをする理由は、ひとりになってもなくならない何かが欲しかった。それがガラスの仕事や作家としての活動だと思っていたけれど、弓道をやっていくうちに、これがもしかしたらそうなのかもしれないと思うようになりました。

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弓道は、和弓で矢を射る術のことをいう。「的」にあてる技術だけでなく、弓を引く時の所作の美(弓道では射品・射格という)も問われる。

参考:佐竹万里子先生のインタビュー映像 (ANA Global Chnanel)

続けて、こう語ってくれた。

-生活道具としてきちんと使えるものを作る技術と造形的な美を両立させるということや、細かい修正を重ね少しずつ洗練させていく過程が、器つくりと弓道は似ているんです。

-ガラス器の制作活動やFALLでガラス器の展示をしようと思ったのも、美術作品よりも工芸作品(ガラス器)の方が、弓道のエッセンスを反映できるからだと今は感じているからです。​

人がどんな事をしていようとも、その人にしか通れなかった人生を感じたり、知ることができたときに、言葉に表せない気持ちになる。

​今の後藤さんにとっては、「弓道」は何にも代え難いことのようで、とても楽しそうに話してくれる。

後藤さんと出会って10年近く経つけれども、なんだかとても晴れやかな気持ちで生きている様にさえ感じる。

郷土博物館に着き、車を停めて入ろうとしたら、まさかの休館日だった。ちょうど歩いてすぐのところに、後藤さんが通っている弓道場もあったので、そちらにいくことにした。

すでに時間もいい頃だったので、弓道場の中までは入れなかったけど、いつの日か後藤さんが弓を引く姿の余韻を残して、道場を後にした。

そして、いつものように最寄りの駅まで送ってもらい、お別れした。​

-あとがき-

3回にわたってご覧いただき、ありがとうございました。

今回の展示記録は、写真家である自分に、新しい希望をもたらしてくれました。

展示写真においては、基本的にアーカイブとして記録的に残すことに価値があると今は考えています。

作品や展示空間は、誰かの日常を彩るものであってはならないはずです。本来は、会場に足を運び、作品を実際に見て、作家さん本人と話したり、それをもって何かを感じることに醍醐味があると思っています。

SNSを中心とした情報の事を言っているのですが、様々な色眼鏡を通して一方的にこちらに向かってくるため、展示や作品を真っ新な気持ちで見る事はもう不可能に近い気がしています。この葛藤をここ1,2年で感じていますが、もはやどうすることもできないと感じています。

「展示写真」についても、写真家として改めて向き直して取り組みたいと思っていたところでした。依頼してくれる方との関係性の部分を除いたら、作品や展示空間だけの写真を僕が撮ることに、果して意味はあるのかとさえ考える様になってしまっていました。

でも、今回の展示記録がこうしてかたちになったときに、自分の可能性を自分で塞いでいたことに気づきました。

展示写真に限ったことではなく、写真家として「こういうことをしたいのかもしれない」と断片的にヒントをいただいた様に思います。

誰もが同じような情報に辿りつけるようになった今、誰もが気づいていない辿りつけないところに価値があると思っています。

そして、色んな節目で同じことを想うのですが、「写真」は、今だけでなく、いつかの未来にも、やはり希望をもたらすものだと後藤さんと初めて出会った時の写真を見て、思いました。

2023.7.24

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