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写真講義

独学で写真をやってきていたので、そもそも写真に関する知識があまりない(と思っている)。

今や学歴・経歴などと言ったものに左右されずに活躍しているフォトグラファーは沢山いるのはわかっているが、知っているのと知らないのではもちろん違う。

一種のコンプレックスなのかもしれない。


10年間写真を撮ってきて、ここ数年は「見る」ことを蔑ろにしていた気がする。

もちろん、見ていなかったわけではない。写真の展示があれば行っていたし、好きな写真家もいる。ただ、偏っていた気がする。特に「写真集」を意識してみていなかった。


きっかけは、妻が持っていたThomas struthの写真集だった。ストゥルースのポートレート写真に惹かれ、大判の写真集を代官山蔦屋書店で購入した。そこからなぜか「写真集」が気になるようになり、写真を専門とした都内の新刊・古書店を巡りに巡った。


中でも、吉祥寺にあるbook obscura ( @bookobscura )に行って、風向きが変わった。

そこでは、William eggleston の「flowers」を衝動的に購入したが、あわせて紹介されたルイジ・ギッリが気になった。

多分、写真をやっている人なら知らない人はいないだろう。

ここ数年、様々な場所で、何度も見かけたその写真集「Colazione sull’Erba」は、店主の魔法のようなレビューで、宝物のようなものに見えた。


そののちに「写真講義」を購入する。

この本は、写真を撮っている人で(且つある程度撮ってきていた人で)ないと、恐ろしく退屈な内容かもしれない。逆を言えば、僕にとっては、とても刺激的だった。

「写真とは…」「写真を撮ることは…」「写真家の仕事は…」と訳者の萱野有美さんの翻訳も

いいのかもしれないけど、このような主語で、始まるものはほぼ、メモした。


僕はスナップショットを中心に街歩きをして写真を撮るタイプなので、

10年も経つと、もうだんだん写真を撮るのにも、「どこかに旅しないと・・・」とかあれこれ理由をつけるようになった。

だけれども、ルイジ・ギッリの写真集やその他の昔の写真集を見ると、「何言ってんだ」となる。まだまだ近所の街歩きで、毎日のように、異なる光景に出会うし、自分の眼差しは、変わる。


そして、著書でも引用されるアンリ・カルティエ・ブレッソン、アンドレ・ケルテスという名だたる写真家にたどり着いた。

自分の生活の延長線上に写真を撮ったり、街歩きをしたスナップショットを中心に写真を撮っている自分にとっては、同じく小型のカメラでスナップ写真を残した彼らに、とてもシンパシーを感じている。(と、恐縮にも偉そうな事を言う。まだまだ作品をあまり見ていないので、説明不足かもしれないが、ご愛嬌を)


このような写真集の出会いにより、写真を撮ることがとても楽しくなっている。改めて「写真集」という存在の尊さに気づいた今日この頃です。



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20230203

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