記憶の中で、だんだん薄れてしまうんだけど、突然蘇ってきてしまうことがあります。楽しい出来事も、悲しい出来事も。
僕は、写真を通して「この時、僕はここにいたんだ」と確かめたいんだと思います。20歳になった春、母親が亡くなりました。
幼少期に母親と一緒に写っている写真は、たくさん残っていました。中学生、高校生になるにつれて一緒に撮った写真は、ほとんどありませんでした。大学の入学式で、通りすがりの誰かにお願いして撮ってもらった1枚。それが最後の写真になりました。
亡くなった当時、その写真を何度も見返していました。
入学式の日は、生暖かくて、桜も満開になった後で、少し散り始めていた頃でした。会場である日本武道館までは、母と一緒に電車で来ました。無事に入学式も終わり、父母席と学生席は離れていたし、僕はなんだか疲れてしまい、先にそそくさ帰ろうとしていました。
迷惑かけて、1浪してやっと入った大学。
予備校にも通わせてもらい、毎日コツコツ勉強したので、それなりに名の知れた大学には入ることができました。1浪したとはいえ、たぶん親としてもちょっと誇らしいと思います。
「先帰るね」なんて冷たいメールをして帰ろうとしたら、いつもそんな事言わないのに、ちょうどこの日はなんだか僕に甘えて「嫌だ、帰らないでよー。どこにいるのよ。写真撮ろうよ、ゆうすけ!」と言われたことを思い出しました。
今、思うと、せっかく苦労して入ったので、写真くらいちゃんと残しておきたかったのかなと思いました。同時に「いつも笑っていて、陽気でお茶目で優しいけど厳しい、だけど一人っ子で難産だったから、可愛くてしょうがなかったのか、僕にとても甘い母だったな」なんて、思い出させてくれるんです。
成人したばかりなのに、子供のように何回もワンワン泣きました。写真ってそんなに大事なものかと初めて気づかされました。今でこそ、写真を撮ることが、歯を磨いたりすることと同じくらい日常になっていますが、母親も僕の大好きなおばあちゃんやおじいちゃんも、亡くなってしまって、もう今は撮ることはできません。
大切なものこそ、僕はちゃんと残しておきたい。
僕は死ぬまで写真を撮り続けると思います。その撮った写真を節目、節目で何度も見返すでしょう。
「僕は確かにここにいて、誰かといて、笑って、時には落ち込んで、泣いて
ワクワクして、一生懸命になって、色々な場所に行って、おいしいご飯食べて、料理して、たくさんの人と出会って、何かを成し遂げて、人生いろんなことだらけだけど、幸せだったなぁ」
なんていって、確かめたいんです。
僕にとっては、どんな光景であっても、写真を撮る瞬間、全てが大切なんです。心のどこかで、何かを失った寂しさを埋めているだけかもしれないけど、そう思われてもいいです。というかそうです。
だから、これからも大切な時間を、僕が見た世界を撮り続けて、このサイトを更新していきます。いつも見てくださっている方がいれば、本当にありがとうございます。